首都圏エリアで満員電車通勤ともなると、どこもかしこも「押しくら饅頭」とは言わないまでも、知らない誰かには必ず接触する。そんな生活にうんざりしている人も多いだろう。
その一方で、ここまで人が集まっていると新しいビジネスが生まれてくる。ニッチなものでも母数が大きいものだから、小さな会社を潤すくらいのヒットは飛ばせるわけだ。
ビジネスや利便性という実利的な面からのメリットもそうだが、精神的な成長を促すための条件も揃っている。
都会をわざわざ離れて、田舎で庵を結んで仙人のように生きるのであれば、この現代になんのために生まれてきたのか分からないという考え方もある。
あの世に帰れば、天国だか地獄だか分からないが、少なくとも似たような心境の人同士が暮らしていて、良くも悪くも自分の想像を絶するような人を見ることはまずないだろう。
それに、死ぬまで満員電車通勤ということもなかろう。70歳にもなれば、働くにしてももう少しゆったりとした勤務形態になるに違いない。そう考えると、「首都圏エリアで満員電車通勤」はなかなかレアな修業の場である。
なんの修行になるかというと、「貪瞋痴」の「瞋」を抑える修行になる。「瞋」とは瞬間湯沸かし器みたいな怒りだ。
満員電車通勤で心を平らかにしようとするとかなり困難だ。
座っているだけでも、足を踏まれたり、蹴飛ばされたりする。また、押してくる人もいれば、傘のしずくを故意じゃないにしてもズボンにこすりつけてくる人もいる。中には面と向かって文句を言ってくる人だっている。
楽しいものではないけれど、考えてみればなかなかレアな修業の場である。
そうはいっても、手間暇と、場合によってはお金もかけて、混雑を避けるようなことはしている。
人にはレベルというものがあり、物事には程度というものがあるからね。苦難を手放しで奨励していては体がもたないのだよ。