「感謝は大切だ」というと、単なる道徳的なことであると思ったり、お題目(というと語弊があるかもしれないが)みたいなものだと思う人がいるかもしれない。もっと、平たく言えば、感謝とは大人のお作法であって、それ自体は役に立たないものであると考えている人もいるかもしれない。
ただ、ひとついえることは、感謝とは幸せになるためには、必ず持っていなくてはいけない感情であるということだ。
何か不幸なことがあったとき、人はよく、他人や環境のせいにしがちではあるが、良いことが起こったときに、他人や環境のお陰であると心底感謝することは難しい。
また、如何に恵まれている環境であったとしても、当たり前だと感じていることに、感謝をすることは難しい。
ただ、その当たり前だと思っていたことが、突然なくなったとき、人ははじめて恵まれていたことに気がつく。
たとえば、食あたりなどで胃腸を壊したりすると、固形物を食べられることがどんなに素晴らしいことであったかを思い知る。食べ物を食べられるということは、大きな喜びであったことを知るようになる。
あるいは、海外で、日本の感覚で夜に外をふらついてしまったら、場所によっては生きて帰れないかもしれず、それはそんな格好でふらついていたあなたが悪いと言われかねない。日本の街は安全で、夜も明るく、交通は正確だ。
見方をかえると、感謝できるということは、自分が何によって生かされているのかを知っているということかもしれない。
感謝は、しようと思ってするものではない。
自分を取り巻く人や環境と自分の行動を合わせて考えることで、自然と湧き上がってくるものである。
だから、感謝は指標になっても、目的にはならないものだと私は考えている。
じつは、何によって生かされていて、何をしなくてはならないのかを知っていると、不測の事態でもパフォーマンスを落とさないようになる。なにが失われたのかを把握できていると、精神的な落ち着きにもつながる。
感謝ができるくらい、まわりと自分の関わりあいに理解を深めることで、高いパフォーマンスを得ることができるだろうし、多幸感もあるだろう。そして、そこに成功も自ずとついてくるのではないだろうか。
こう考えると、感謝も成功も、幸せになる過程で生まれる副産物なのかもしれない。