境界線上のグラデーション

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アメリカの女性の書く成功哲学本とか自己啓発本には、たぶんにスピリチュアルな要素がある・・・と私は思っている。こじらせる(?)と祭壇まで自作して祈りを捧げるようになるのは、どうもよくあることのようだ。

「こうしてアニミズム信仰がうまれてきたのだなぁ」と思うことしきりである。

最近聞くのは「人格神は信じないけど創造主は信じる」というもので、理屈としては「天地創造の神に人格があるわけがない」というのが多い気がする。

「これって“人格”をどう捉えるかの問題じゃないのかなぁ」とも思える。

ここらへんの言葉は定義が難しい。それゆえに、特定の単語を軸に話をはじめても、軸になっていないことが多い。

考えるのが面倒になってくると極端にシンプルにした考えを提示して「これで解決」と言いたくなる。しかし残念ながら物事は白黒の2色ではなく濃淡のグラデーションなのだ。白黒の境界線を決めることは“決着”を導きはするが、“解決”を導くことはない。

神と自分の間に“白黒の境界線”をひいて「“グラデーション”は認めない」という人は、もしかしたら「人類には悪い人と良い人の二種類しかいない」と思っているのかもしれない。

もちろんそんな人でも「人類には悪い人と良い人の二種類しかいないと思っているのですか?」と聞いたら「まさかそんなわけないじゃない。」と答えるのだと思う。実際には人の良し悪しに興味が無くて「人類には私に有益な人と無益な人と有害な人と無関係な人がいる」と思っているかもしれない。

これも程度の問題で「2段階か4段階か、あるいは平均をとって評価したら3段階でいい」とかあるのかもしれない。でも身近なことであればあるほど、段階を細かくしたほうが幸せになれそう。

悪いことや嫌なことに対して「悪いことや嫌なことばかりじゃない」と事象そのものから目をそむけるよりも、“悪いこと”と思っていることが本当にすべて悪いことではないということに注目したほうがいい。

この場合はグラデーションではなくマーブル模様かもしれない。平均したら“悪い”でも、そこかしこに“良い”があるはずだ。負け試合でも全部のシーンが悪いわけではない。

「眠れなくてネットサーフィンしていたら、こんな文章を読んでしまっても、“全部最悪”ということはないんですよ、きっと。」

私はキメ顔でそう言った。

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